昭和56年03月30日 朝の御理解



 御理解 第九十三節
 「氏子は神の守をしておる者を神と心得て参詣する。守が留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着ておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。」

 昨日から久しぶりで胃が痛みます。一睡も出来ないくらいに痛みました。今朝の御祈念に胃をおさえながら、やっとの思いで御祈念をさせて頂きました。今御神米を頂いて胃のほうにおりただろうかと思うころから、今痛みが薄らいでおります。今日は取次者としての心構えと言う様な御教えで御座いますけれども、御神米がこの様に有り難いものだと言う事を取次者自身が分かり、知らなければならない。またご信者の皆様とても同じ事。ここではお神酒さん、それから御神米を大切にされます。
 そういう例えば霊験を体験させて頂いて、人にも勧める事が出来、又人も助かると思うのです。まあ薬じゃないから効くと効かんとかじゃないですけれども、こんなにあらたかなもんだと言う事を、やっぱり本当に苦しい時でなければ、本気で真剣に頂けないようですね。今日は私は出てくる時に、入れ歯をしておる事がきついようにあったです。だから今日は入れ歯を取って参りましたけれど、人間の体というものは。
 昨日は浅野先生と目を診て下さる先生がお出でられる日でしたから、昨日は午後から色々診て頂いたり、どうもこの頃食事が美味しくない、どう言う事だろうかと、私は気が付かんでおったら、「それは今、お薬をさしあげているからじゃないでしょうか」とお医者さんが言われるからですね。成程お薬を頂いて糖尿病には効くに致しましても、胃にはだから障っておると言う事が分かりますね。そういう意味において「薬は毒だ」と言う事は皆が知らなきゃいけません。
 もう出来るだけ薬は効かん薬を飲まなければいけない」というふうに、この頃テレビでお医者さんが言うておられましたが。昨日も目薬をさして頂きましたら、目がぼんやりして見えんごとなってしまいました。私それでどうしてじゃろかと言うたら、瞳孔が開いてしまう目薬だったそうです。だからぼんやりしてしまって、それからまたしかしいろんな素晴らしい薬がありますね。そんなら開き過ぎとるけん、今度は縮めにゃいけんというて、その目薬をさして頂いたら、20、30分したら。
 また当たり前に見えるようになりましたが。そんなに効くと言う事が、ある意味合いでは毒と言う事ですよね。だから「毒薬が変じて薬になるように」と言う事を願わなければならない。私どもは本当言うたらお神酒さんとご神米で結構おかげを頂けるという確信を持たなきゃならん。いうならば毒が変じて薬になるようなおかげを頂かなくてもいのですけれども、まあ一つの成り行きというのでしょうかね、お医者さんが二人見えますからね、目のお医者さんと糖尿病のお医者さんと。
 ですから私の部屋いっぱいに機械やら道具やら持って見えてから診察をしてくださったり、手当てをして下さったりする訳です。本当に勿体ないこちらからお願いした訳でもないのですけれども、ここに御神縁を頂いておられる方達が心配をして下さるのですから、有り難く頂かなければならん。とにかく信心させて頂く者のおかげの実感というか、おかげの体験というものが一番、信心には大切であり、力であります。
 もう頭で分かったよりも、とにかく御神米というものが、こんなにあらたかなものだと言う事を分かったら、それの方が確かですね。神様の働きというものを。これは今日は取次者に対するものですけれども、おかげで今は治まっておるです。御神米が3粒ここに入った途端に、こう押さえんでもいいという感じがします。ですからそういう実感と体験をもって始めて人が取り次ぎ助けられる事になんじゃないかというふうに思いますね。
   どうぞ。